子宮内膜症と診断されるまで〜不吉な木曜日編〜

子宮内膜症について
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momo
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私が子宮内膜症と診断を受けるまで結構な時間がかかりました。


思えば、診断を受ける数年前から様々な症状が出ていました。しかし、その時はそれが子宮内膜症からきているとは思いもしませんでした。

今回は私が子宮内膜症と診断を受けるまでをいくつかの記事に分けてお伝えしたいと思います。

異変が起きた2012年

異変に気づいたのは2012年11月のある木曜日です。

その日は仕事があり、職場の人たちとお昼ご飯を食べていました。その後、少しして突然気持ちが悪くなり、吐き気がしてきて、お腹も痛くなってきて、トイレに駆け込みました。とにかく気持ちが悪くて冷や汗がだらだら出てくるし、私はとっさに食中毒かと思いました。


なぜかというと、前日に専門学校の栄養学の授業で調理実習をしたのですが、学校の調理器具があまり使われていないような感じで汚く、そんなものを使って料理をしたため、それが原因で食中毒になったのだと思ったからです。


かなりの時間トイレに閉じこもり、職場の人に事情を話して別室で休ませてもらい、その日はなんとか体調も回復して、夜は専門学校に行きました。ただ、ひどい痛みはなくなったものの、動いたり、歩く振動だけでお腹が痛く、ゆっくりしか歩けませんでした。


学校の人たちにお腹は大丈夫か聞いたところ、全然なんともないとのことで食中毒が原因ではなかったようでした。

救急車

2013年に入った2月くらいだったと思います。そして、その日も木曜日でした。(例の会議の日でした。)

前回と同じように、お昼ご飯を食べた後のことです。また前のように突然気持ちが悪くなり、吐き気がして、お腹も痛くなりトイレに駆け込みました。また冷や汗が出て、その時は前回より痛みがひどく、痛みでお腹を真っ直ぐにすることもできず、うずくまって痛みに耐えるしかない状態でした。

職場の人に救急車を呼んでもらい病院に行きました。その頃ノロウイルスなどの感染症があちこちで流行っていて、私もそれだろうということで病院で点滴をして帰されました。


点滴をして、ひどい痛みはおさまりましたが、お腹を真っ直ぐにすると痛むので前屈みでいたのと、動いたり歩く振動でお腹が痛むのでゆっくり歩くようにして、夜は学校に行きました。

夜間救急

記憶は定かではありませんが、救急車で運ばれた次の月くらいだったと思います。夜、突然お腹が痛み出して、気持ち悪さとお腹の痛みでもうどうにもならないので、友人に夜間救急まで乗せて行ってもらいました。救急車を呼びたいくらいでしたが、前回救急車で運ばれた時、病院に行くまで時間がかかったので、それならいっそのこと自分で行った方がいいと思ったからです。


病院では虫垂炎ではないかと疑われ血液をとったのですが炎症反応がないとのことで、点滴も何もされず痛み止めだけもらって帰されました。その時、「えっ、このまま帰されるの?この痛みをどうしたらいいの?」と絶望的な気持ちになりました。


お腹全体が痛み、胃も痛むので、このまま痛み止めを飲んでも薬は効かないだろうことがわかっていましたが、この痛みをなんとかしたいと思い、とっさの判断で友人に固形の痛みどめの薬を粉々に砕いて水に溶かしてもらいそれを飲みました。液体なら吸収されて効果が出ると思ったからです。

しばらくして薬が効いて、ようやく痛みから解放されました。当時は鍼灸師を目指していただけあって、なるべく薬を飲まないようにしており、痛み止めを飲む習慣もなく、なるべく自力で治すという考え方をしていたので、薬を飲んであの痛みから解放された時、西洋の痛みどめが神の薬に思えました。

あれ以来、どうにもらないな時には西洋の薬に頼ることも必要だという意識に変わりました。西洋医学を全否定するのではなく、急性の症状にはやはり西洋医学は強いので、西洋と東洋医学の良いところを上手に使い分けていくことが大切だと思うようになりました。


とにかく、こんな痛みが毎月起こるようになったので、これはもう病院で診てもらうしかないと思い、次の日病院にいくことにしました。


ちなみに、この日も木曜日でした。
次回は病院でのお話をお伝えします。

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